豊岡市但東町高橋地区は、兵庫県の北東部に位置し、京都府との県境で子午線が通る山村地域。江戸時代には山陰京街道、西国巡礼道として栄えた地域であり、多くの「道標」も残っています。また1814年(文化11年)1月、伊能忠敬一行による測量が行われたことも測量日誌に記載されています。
高橋の名の由来は、その昔、薬王寺村と大河内村を合わせて「高橋ノ庄」と呼ばれ、また小坂、東中、後、久畑、佐田を「片野ノ庄」、栗尾、平田、正法寺、相田、佐々木は「雀々伎ノ庄」、3つ合わせて「高橋郷」と言い、高橋臣義成(西暦700年代)が食付(食材を集めた所)の地であった事が由来の一つとされています。明治22年の「市制町村制」施行により、相田、佐々木を除く、10か村が合併し、新たに「高橋村」が成立し、現在は正法寺を除く9区で高橋地区を構成しています。