京街道の要所で宿場町として栄えた村。
江戸時代は久畑市場村とも言われていました。
稲作には向かず畑地にクワの木を植え養蚕を盛んに行ったことから、クワ畑、クワ田、クバタ(久畑)になったと伝えられています。
山陰京街道 宿場町
久畑は、登尾峠の麓にあり但馬と丹波の国境に位置しています。江戸時代には宿場町として栄え、本陣、関所も設けられていました。また西国巡礼古道(27番札所の圓教寺と28札所の成相寺を結ぶルート)でもあり、人々に密着した大事な宿場町でした。今でもその面影を残しています。
一宮神社
村の氏神さまとして「彦火々出見命」をお祀りしており、久畑区、佐田区の氏神です。創立は天正年間(1580年頃)とされています。明治6年に村社となり、明治16年に拝殿が造営され、稲荷神社、祖霊社もお祀りされています。
ケヤキの森
一宮神社境内には、9本のケヤキの木があり、大きなものは樹齢500~600年の巨木です。鎮守の森として村人に親しまれています。これほど多くの巨木がまとまって自生しているのは珍しく、兵庫県の天然記念物に指定されています。
火伏の神
明治8年、久畑で大火事が発生。
村人の一人が火の神である「火伏の神」のご神体を背負い、山を下りたところ、鎮火したと言われています。万一の時、いち早く何処へでも持って降りれるよう、棒状にして山裾に下ろして祀られています。
七面さん
七面大明神は法華経の護法神。
法華経を信仰する人々の守護神として信仰されています。三十番神も祀られているお堂。
一願不動尊と多宝塔
冬には雪も多く難所と言われていた京街道登尾峠の七合目に祀られていたもの。一願不動尊は、一つの願い事にご利益がある仏様として崇拝されています。また、供養塔は出石藩主京極さまの奥方が建てられたものです。
忠魂碑・満州開拓団殉難者の碑
一宮神社本殿左奥に忠魂碑があり、日清戦争、日露戦争、満州事変、支那事変、大東亜戦争の戦没者の碑(戦死者140名)、そして、満州開拓団の入水自決された殉難者の名を刻んだ碑、遥かなり墓標が苔のジュウタンの上に静かに眠っています。