歴史とロマンの里 佐田(さだ)

佐田

明治時代以降には、当地に高橋村役場、農協、警察、消防、医院、医師住宅が設けられ、太平洋戦争の終戦後には大兵庫開拓団の帰還者のための県住が設けられるなど、合併して但東町になるまで高橋地区の行政上の中心地でした。

佐田 京街道 2020

古代遺跡 亀谷(かめだに)遺跡(いせき)

国道から800mほど入った山中の土取場から、7千年前とする縄文早期の土器が発見されました。

佐田(さだ)大貝(おおがい)遺跡(いせき)

平地である田んぼの中のから、磨製石器の石鏃、石斧、弥生土器、須恵器、土師器、墨書された土器が出土しました。土器の大半は、弥生時代中期後半のものと調査の結果わかりました。

佐田古墳 

佐田古墳、その他大谷古墳群、亀谷古墳群の2つの古墳群があります。

中世の城 

室町時代に、のろし場と伝承された、比丘尼城(写真上)、伊野城(写真下)の2つの城が築かれました。

首切り(くびきり)地蔵(じぞう)

江戸時代には、桑の重税を免れようとした久畑の庄屋が首を切られたとする首切り場あります。首切り地蔵として供養されています。

吉祥寺(きちじょうじ)

寺は田の中に存在していたようですが、焼失したらしく、元禄巳巳年と彫られた焼け焦げた木魚が残っており、お地蔵さんも出てきました。「池のまち」という名称と地名(吉成寺)だけが残っています。

大将軍(だいしょうぐん)(そん)(りん)

古老の話によると四道将軍の一人の旦波道主が休憩した場所との言い伝えがあります。昔は対岸の木立の中に、心谷、佐々木神社の方を向いてお祀りされていましたが、河川改修に伴い、現在の所に移転されました。

地元では「だいじょごさん」といいます。

トウモロコシのもぎ取り園

平成28年から地域活性化の事業として、趣旨の賛同者と共にホワイトコーンを栽培して「もぎ取り園」を開いています。