後区は二ノ宮神社の神主、漆島次郎太夫の助言で、たくさん漆が植えられ、当時は漆畑村と呼ばれていました。現在でも漆谷という地名があり、漆畑がなまって後になったとも伝えられています。
二ノ宮神社
祭神は伊狭彦神。創立は不詳。古来は現在の久畑字二ノ宮にあったとされ、名の由来とされています。現在の神殿は弘化3年(1846年)に建立されたもの。社の下には舞堂もあり、近くには観音堂跡、石坪若狭守重次の墓があり、神社にまつわる民話「二ノ宮さん」も残っています。
後城跡
二ノ宮神社本殿の裏の山腹にあり、城跡、水路跡、馬道が残っています。 城主は石坪若狭守重次。豊臣秀吉の但馬征伐にて落城したとされ、当時の書状や白銅鏡、刀などが残っています。
天神さん(天満大自在天神)
天神さんは学問の神様、菅原道真公をお祀りした祠で、後区にも天神さんがあることはあまり知られていません。ご神体(天満大自在天神)、祠は竹田城主の末えいと伝えられる杉山勘左衛(薬王寺出身)作とされ、享和2年(1802年)に寄贈されたものです。坐像は一刀彫りで、当時は鮮やかな色彩が施されており、220年が経過しても立派なお姿を留めています。
後天神遺跡
昭和62年には教育委員会による遺跡調査が行われ、町内で初めて縄文時代の竪穴式住居跡、土器、石器、食べ物の種、動物の骨などが多数発掘されました。住居跡、石垣等は調査後、そのまま農道下に埋められています。
光蓮寺・観音寺跡
後にはかつて観音寺と光蓮寺の2つの寺院がありました。観音寺は神社舞堂付近にあり、現在は舞堂に観音さまが祀られています。光蓮寺は江戸時代前期に真言宗のお寺として開山され、現在は久畑の地に移転し、浄土真宗のお寺となっています。
古鏡並鉛玉
城山の麓に稲木を建てるため、深さ60㎝ほど掘った穴より出土したもの。